安土城跡は、標高199mの安土山一帯にある織田信長公の居城跡で、国指定の特別史跡です。
天正4年(1576)から、織田信長が約3年の歳月をかけて完成しましたが、織田信長が倒れた本能寺の変の後、焼失して石垣だけが残っています。
アクセス・駐車場・営業時間
住所 | 滋賀県近江八幡市安土町下豊浦 |
電話番号 | 0748-46-6594 |
営業時間 | 季節により変動あり 夏季:月~金(入山16:00迄/17:00閉門)、土日祝(入山16:30/17:30閉門) |
定休日 | 年中無休(荒天の場合は閉門) |
駐車場 | あり |
ホームページ | https://www.azuchi-nobunaga.com/ |
じゃらんnet | https://www.jalan.net/kankou/spt_25381af2170020488/ |
安土城跡
入口は、「安土城跡」と書かれた大きな石碑が目印です。
駐車場は大きく2ヶ所に分かれていて、どちらも広いです。
マナーは守りましょう。
安土城跡に入山する前に、「城なび館」に立ち寄ります。
トイレはこちらの建物のみです。
安土城跡までの登城時間は往復で約1時間なので、トイレはこちらで済ませておきましょう!
さまざまな、安土城跡グッズが販売されています。
また、建物の奥側では、安土城跡の歴史資料展示(有料)もあります。
冷たい、ご当地ジェラートも販売されています♪
公共交通機関は、最寄りの電車から徒歩25分かかります。
最寄りのバス停はないので、タクシー乗り場もあると便利ですね。
目の前には、石塁と大手三門があります。
それでは、入山します!!
ペットの入山は禁止されています。
ルールは守りましょう。
入山料は、大人700円、小人200円(高校生以下)です。
受付では、御朱印の受付もされています。
また、護木札や絵馬、お念珠などが販売されています。
大手道周辺
入山するとすぐ、幅が広くて真っ直ぐな「大手道」があります。
大手道を上っていくと、その両脇に、信長公の家臣たちの家があったとされる場所がずらりと並んでいます。
「伝 前田利家邸」です。
「伝 羽柴秀吉邸跡」です。
築城の際、信長公が他所より移築し、自らの菩提寺にしたと伝えられる「摠見寺」があります。
摠見寺の特別拝観には、別途500円が必要です。
「鐘楼」です。
大手道を左に曲がります。
先を進んでいくと、道の足元には築城の際に大手道の石材として使われた「石仏」がいくつかあります。
「伝 武井夕庵邸跡」があります。
山中には、大きな石燈籠もあります。
大手道を上り切ると、織田信忠邸跡に到着です。
少し右に進むと、大きな石碑があります。
「伝 織田信忠邸跡」です。
天主跡へ向かいます。
「伝 織田信澄邸跡」と「伝 森蘭丸邸跡」です。
天主跡周辺
尾根道を進んで行くと、黒金門跡が近づいてきました。
城の中心部に入る最初の入口である「黒金門」です。
大手門から比べると、大きく頑丈な石垣で構成されています。
左側は、織田信雄四代供養塔と伝 長谷川秀一邸跡への道と、右側には天主へ向かう道があります。
左側には「伝 長谷川秀一邸跡」があります。
奥へ進むと「伝 長谷川秀一邸跡」と「織田信雄四代供養塔」があります。
元来た道に戻り、次は右側の天主跡へ向かいます。
「仏足石」には、お釈迦様の足跡が表現されています。
これも石仏と同様に築城の際、石材として集められ石垣に使われていたものです。
階段を上がると、「護國駄都塔」と書かれた石碑と巨大な石があります。
左側へ向かう階段を上ります。
「二の丸跡」です。
奥へ進むと、「信長公本廟」があります。
太刀(たち)・烏帽子(えぼし)・直垂(ひただれ)など信長公の遺品が埋葬されています。
元来た道に戻り、本丸跡へ向かいます。
「本丸跡」です。
ここには、天皇を招き入れる「御幸の間」がありました。
他にも、京都御所の天皇の住居である清涼殿(せいりょうでん)と同じ構造をした建物や、さらにはそれが高床式であったことなども判明しています。
たくさんの方が、想いを馳せているのでしょうか。
本丸跡をあとにし、次は天主跡へ向かいます。
現在も、発掘調査が行われています。
ルールは守りましょう。
「天主跡」です。
天守は完成てからわずか約3年後の天正10年(1582)に焼失しました。
今は礎石のみで天主閣を見ることは出来ませんが、当時は、東西・南北に約28mの台地に地上6階・地下1階、木造で高さ33mの八角形の天主閣があったようです。
今立っている部分は地下1階なので、想像もできないほど壮大な巨大建築だったのでしょうか。
本丸跡の石垣から望む西側の景色です。
そして、天主跡の頂上に到着です!
北側の景色を望みます。
素晴らしい景色を、ありがとうございました。
足元の石は不揃いなので、お気をつけ下さい。
二の丸跡を見ることができます。
天主跡をあとにし、三重塔へ向かいます。
伝 織田信忠邸があった場所に戻り、西側の道へ進みます。
三重塔周辺
裏門跡に近づいてきました。
裏門跡を上ると、三重塔や摠見寺本堂跡があります。
「摠見寺本堂跡」です。
信長公によって城内に創建された、本格的な寺院です。
安政元年(1854)に火災により本堂など中心部が焼失しましたが、礎石のみが残っています。
摠見寺本堂跡から西側の景色を望みます。
次に、三重能へ向かいます。
「三重塔」です。
室町時代の建物で、享徳3年(1454)に建立され、天文24年(1555)に信長公が甲賀の長寿寺(湖南市)から移建したものだとされています。
三重塔をあとにし、表門跡から仁王門へ向かいます。
仁王門が近づいてきました。
「仁王門(楼門)」です。
棟木には、"現亀二年(一五七一)七月甲賀武士山中俊好建立"と記されています。
門内に安置されている金剛力士像も門と同様に、国指定重要文化財です。
また、頭部の内側に応仁元年(1467)因幡院朝作の造像銘が残っていて、信長公が天正年間(1573-1592)に甲賀から移されました。
とても迫力があります。
仁王門をあとにし、大手門へ戻ります。
燈籠でしょうか。
人工的に彫られた石像でしょうか。
そして、最初の出発点にあった伝 羽柴秀吉邸跡や大手道に到着しました。
無事に入山することができました。
ありがとうございました。
休憩所
往復1時間の入山を終えたあと、休憩所に立ち寄りお茶やデザートをいただきます。
みたらし団子やかき氷が販売されています。
お茶は無料でいただくことができます。
この日は気温も高かったので、かき氷を注文しました。
ごちそうさまでした。
入山を終えたあと、百々橋口道の方へ少し周辺を散策しました。
大手門から百々橋まで、石塁や郭が続いています。
先に続く通路は、一般の人が通行できる城外路ではなく、安土城の内堀だったとされています。
奥へ進んで行くと、百々橋口を目前とする入口へ。
管理上の都合で、ここから山上することは出来ません。
安土城跡の散策はここまでとなりました。
安土城跡の近くには、「安土城考古博物館」や「安土城天主 信長の館」があります。
まとめ
史跡を見るだけでも見応えがありました!
織田信長公の権力がいかなるものか、その壮大な巨大建築の建設に、当時の方々の想いや苦労は図れ知れないものだったと思います。